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書いてる人
渡辺(行政書士) : 行政書士家系図作成代行センター&渡辺宗貴行政書士事務所 代表
玉置(補助者) : 家系図作成まにゅある

2011年04月08日

戸籍をさらに深く読み込む

家系図作成代行センターでは、現地調査のノウハウを生かし
「戸籍調査」をご依頼いただいた方全員にご先祖様の暮らしを読み解いた
「家系解明報告書」をお付けしております。

「家系解明報告書」は一番古い除籍謄本より判明したご先祖様の
「お住まいだった土地」「苗字」「名前」などから、
「職業」「暮らし」「家紋」「家系」「戸籍以上の調査方針」をまとたものです。

では具体的に戸籍をどう読み解いていくのかについてお伝えいたします。



家系図作成センター代表渡辺宗貴の「家系解明報告書」作成例

【 地名からわかること 】

渡辺家の戸籍(除籍謄本)で調べられる一番古いご先祖様は
北海道上磯町(現北斗町)の茂辺地(もへじ)というところに住んでいたようです。

かなり早い時期に北海道渡ったようで戸籍からは本州のどこから来たか確定できません。
北海道は明治期に本州からたくさんの人が入植しています。

ですがこの茂辺地は本州に近い函館方面にある村で、
江戸期から本州の人が移り住んでいる北海道では歴史の古い村です。

北海道の人の家系調査では本州の本籍地を確定させるのは重要なので、
さかのぼるのが割りと困難なケースです。

ですが、茂辺地について少し調べると少しずつですが暮らしぶりが想像できてきます。

現在の北斗市茂辺地です。道南に位置し、江戸時代から開けていた地域です。
住民は江戸から明治にかけて漁業や農業で生活しており、
安政2年(1855)の「松前記行」には「富有のものもまま見へたり」とありますから、
豊かな村だったようです。明治4年(1871)には戸数が143軒あり、
人口も810人もいました。
渡辺家がいつから茂辺地に住んでいたかは分かりませんが、江戸時代には移り住んでいたのでしょう。


【 戸籍から作成した家系図からわかること 】

これは、戸籍から作成した渡辺家の家系図です。

※戸籍に載っている人物を全て記載した親族図です。
※個人情報保護のため一部人物名は替えてあります。

家系図作成代行センター代表渡辺より5代上のご先祖様まで判明しています。

戸籍からだけでも十分に立派な家系図は作れますが、
家系図を作るだけではなくさらに読み解けることもあります。

渡辺家のご先祖様は「莊」という字を何代にも渡って受継がせています
武士(士族)の世界では「通し字」といってよく行われていました。
ですが、住んでいた地より渡辺家は武士ではありません。
実はもう一つ武士ではないことが読み取れる箇所があります。
戸籍から判明する初代が荘兵衛、二代も荘兵衛。
子供に改名させ荘兵衛の名を受け継がせています。

このように名前を丸ごと受継ぐということは武士にはなかった傾向なので
士族じゃない事は間違いないと思われます。

通し字は武士に限らず、ある程度自分の家に誇りを持つ
農民(庶民)にもみられた傾向です。

もしかしたら村の中ではやや大きな農家だったかもしれません

長男の荘吉にも父祖ゆかりの「荘」文字が使われています。
先祖代々、同じ一文字を名前に使い続ける習慣を「通し字」といい、
足利家の「義」や織田家の「信」など武士の世界では広く行われていました。
これにより当家も武士と同じくらい家に強い誇りを持っていたことが分かります。

明治9年に養父から家督を継いだ平次郎は、荘兵衛と改名しました。
養父の名前を襲名したのです。
父の名前を子供が襲名するのは家系に誇りを感じている証拠です。
茂辺地には曹洞宗竜洞山宝樹庵というお寺があります。
養父の荘兵衛はこのお寺に葬られたのかも知れません。

【 戸籍よりさかのぼるための調査方針 】

渡辺家は戸籍調査では本州の本籍地は特定できませんでした。
ですが、戸籍に記載の人物を詳しく読み解けば推測できることもあります。
戸籍と戸籍から作成した家系図をよく見ると

・二代荘兵衛(平次郎)の嫁さんが秋田の出身で旧姓が同じく「渡邉」で本籍地が秋田県の脇本
・二代荘兵衛の長男が秋田県の脇本より養女を迎えている

秋田県の脇本という地との繋がりが見えます。
渡辺家が秋田の脇本から北海道へやってきた可能性はかなり高いです。


また、脇本が渡辺家の元の本籍地だとすると、嫁さんや養子を迎えていることから、
今だ脇本とのつながりが深い、すなわち脇本から北海道に移り住んでから
さほど年月がたっていなのではないか?ということが読み取れます。


脇本という土地についても調べます。

秋田藩の領地、武士は住んでいない、半農半漁、大きな村…
ここからも暮らしぶりがイメージできます。

現在の秋田県男鹿市脇本です。その地の加藤平助の二男が
嘉永元年(1848)渡辺荘兵衛の養子となりました。
2009年の電話帳によれば脇本に加藤家は83軒もいます。
多すぎるので二代目荘兵衛の兄の子孫を探すのは困難でしょう。
脇本村は戦国時代、安東氏の本拠地で江戸時代は秋田藩の領地でした。
かなり大きな村で住民たちは半農半漁で暮らしていました。
江戸時代、武士が住んでいた土地ではありませんので、
加藤家は庶民だったと思われますが、戦国時代は
脇本城主安東氏の家臣だったかも知れません。

妻のマサも脇本村から嫁いでいます。しかも父親は渡辺藤右エ門という人物です。
この渡辺家は当家と関係があると思われます。
当家も出身地は脇本村ではないでしょうか。
もし、そうだとすれば出身地から養子や嫁を迎えていることから、
当家と脇本村の交流は続いており、茂辺地へ渡ってからあまり
代数を経ていないのだろうと思われます。
先代荘兵衛のときに茂辺地へ渡ったのかも知れません。
2009年の電話帳によると、脇本には2軒の渡辺家が住んでいます。
渡辺という苗字の場合、渡邊や渡邉と書く家も一族である可能性がありますが、
脇本にそれらの家はありません。


戸籍を超えた家系調査を実際行う場合の調査方針が少しずつですが見えてきます。

茂辺地の親族や菩提寺・墓石の調査はもちろん行うが、
過去帳には分家後の記録しか残っていないことが多いので
北海道に渡ってからの記録までしかさかのぼれない可能性が高い。

北海道に渡ったのは江戸の中期から後期、おそらく後期と思われるので
茂辺地を調査してもさかのぼれるのは0〜3代ほどと思われる。

脇本に本家があると推測されることから、さらにさかのぼるには
脇本の親戚筋へのコンタクトが必要。

脇本の郷土史はもちろん、秋田藩の領地であったことから秋田藩の記録も調べる。



【 人間関係より暮らしを読み解く 】

二男の佐市は明治11年に失踪しています。
当時は戸主の許諾なく本籍地を離れると失踪とみなされましたから、
佐市は戸主である父荘兵衛と折り合いが悪かったのかも知れません。
そのためか復籍後、茂辺地の丸山家へ養子に出されています。
2009年の電話帳によると茂辺地に丸山家は12軒います。


戸籍をみると失踪という記載が良く見られます。

これは旧民法の規定です。
さらに復籍後即養子に出されているから、もしかしたら戸主との関係が悪かったのかもしれません。
失踪についてですが、歴史の知識と絡めると別のことが読み取れる場合もあります。
よくあるのが徴兵制度との絡みです。
徴兵逃れに失踪するということは当時よくあったことです。

徴兵検査の記録と合わせ見れば失踪の理由はおそらく
徴兵逃れであろうなどと読み取れる場合も多いです。

養子縁組についても旧民法や歴史の知識と合わせ見れば読み解けることがあります。
戸主は徴兵に行かなくてもいい場合がありました。
子供を徴兵に出したくない場合、養子に出して戸主にさせるということがよくありました。
他にも人間関係から読み取れることは多々あります。

二代荘兵衛の長男は健在である弟に家督を譲らず、
なぜか養子の女性に家督相続させています。

長男に子供はいなかったのですが、弟に家督を譲るのが自然です。
あるいは弟の子を養子にとって家督相続させるのが普通です。
他所から養女を取って家督を譲るのは通常ではなかなか見られないケースです。
なにか兄弟間の確執があったのかもしれません
家督を譲るということは財産もすべて譲るということです
どうしても養女に財産を譲りたかった事情があるのかもしれません。

さらに長男は家督相続どころか弟の分家も許さなかったらしく
弟が分家できたのは50歳を過ぎてからのようです。

※昔は「戸主権」というのがあり戸主の許可なしに分家できませんでした。
この時代は人生50年と言われていました。
50歳になるまで分家を許さないということは通常ではなかなか見られないケースです。
ここからもなんらかの確執がうかがえます。
上記はあくまでも可能性の想像です。自分の家系だからここまで読み解いています。
お客様の家系については「確執が予測される」等については「家系解明報告書」に記載しません。
聞かれれば「こういうケースも推測できます」とお伝えはします。


【 関わりある人物も重要 】


上記の家督を譲られた養女の父親は千葉弥作、本籍地は青森県南津軽郡黒石町

苗字・名前と住んでいた場所より武士の可能性がややあります。
北海道茂辺地の渡辺家がなぜ青森の千葉家とかかわりをもったのか?

渡辺家が秋田にいた時代にすでに隣の県青森の千葉家と関わりが
あったことも想像できますが、この可能性は非常に低いです。


秋田と青森では藩が違います。

当時は藩が違うとまず交流はありませんでした。
もう一つ考えられるのが、青森の千葉家が北海道に出稼ぎに来ていたことです。
当時は青森から南津軽へ出稼ぎに来ていたケースが多いです。
あるいは北前船で本州と北海道を行き来していた商人の紹介か。
また、二代荘兵衛の長男は秋田から嫁さんを迎えています。
この嫁さんの甥っ子の名が斎藤利成、本籍地は秋田県の能代御指南町
代御指南町は武士と町民が半々で暮らしていた町です。
斎藤という苗字、利成という名前より斎藤家は間違いなく武士です。
士族である斎藤家とは秋田時代より関わりがあったのでしょうか?

あるいは、当時の北海道と本州の人間の婚姻は誰かの仲介による
ケースも多々ありました。

いずれにせよ庶民である渡辺家が武士の家と関わりがあったということは
先に通し字より予測した「やや大きな農家だったかも」という可能性を少し補足します。

荘吉の妻となったキノは「秋田県山本郡能代港町字御指南町一番地 
斎藤利成伯母」とあります。御指南町は現在の能代市御指南町のことで
江戸時代には秋田藩の下級の武士が住んでいました。
この斎藤利成という人物は武士です。二人はどのように出会ったのでしょうか。
誰かが仲介しキノは嫁ぐとき、初めて北海道へ渡ったのかも知れません。
キノは明治36年に荘吉と離縁しました。

戸籍調査とは家系図を作るだけではありません。
深く読み解くことでご先祖様の暮らしを想像することができます。
また、家系図の作成とはさかのぼることだけがすべてではありません。
戸籍でわかる一番古いご先祖様は幕末〜明治・大正期を生きた方たちです。
三〜五代前の近いご先祖様を想うことも感慨深いものです。


【 そもそもの家系は? 】


戸籍を読み解くだけではなく「家系」「苗字」「家紋」の知識より、
「そもそも自分はどういう家系につながるのか?」という1000年以上前の
天皇家から下ってくる系図についても特定・推測出来ます。


【家系のヒント】

全国の渡辺家の多くは第52代嵯峨天皇(786−842)の流れをくむ
渡辺綱の子孫だといわれています。
すなわち嵯峨天皇の皇子融(とおる)が臣籍に降下して源融と名乗り、
その子孫の綱が現在の大阪市にあった渡辺という場所に住み着いて、
渡辺綱と称しました。これが渡辺という苗字の始まりです。
綱は平安時代、源頼光に仕えて四天王の第一に数えられ、
酒呑童子を退治したり、一条戻り橋で老婆に化けた鬼の腕を斬りおとしたりと、
大いに武名を高めました。その子孫たちは渡辺党と呼ばれ、
「渡辺星(三つ星に一文字)」という家紋を愛用し、全国各地に移動しました。

秋田県にも住み着き、戦国時代に脇本を支配していた安東氏の家臣にも
渡辺喜兵衛や渡辺五郎兵衛などがいます。
安東氏が現在の秋田市へ本拠を移し、秋田氏と改名したとき、同行せず、
地元脇本で帰農した家系かも知れません。
いずれにしても当家のご先祖は明治以前に北海道へ渡った冒険心にあふれる人物でした。

そもそもの家系の流れを把握することは戸籍以上の調査方針を立てる上で重要です。

・第52代嵯峨天皇が1200年前
  ↑
 この間の約200年間の系図は文献により入手できる
  ↓
・渡辺綱が1000年前
  ↑
 この間約800年間の空白
  ↓
・戸籍から判明した渡辺家は約180年前

渡辺綱の子孫は全国に広がっているので、渡辺家がどの家系の流れに乗り上げるのか?

800年間の空白を完全に埋めるのは難しいですが、
渡辺綱から現代へ下ってくる流れと渡辺家が180年以上さかのぼる調査を
同時に進めることが必要になります。

渡辺の苗字は全国でも5位と非常に多くその分どの家系の流れにつながるのか難しいですが、
苗字によっては1つの流れしかないケースもあります。



例】○○家のケース

・藤原鎌足1400年前
  ↑
 この間の約950年間の系図は文献により入手できる
  ↓
・○○城城主○○が450年前
  ↑
 この間約250年間の空白
  ↓
・戸籍から判明した○○家は約180年前

古代(1000年以上前)から戦国時代(400〜600年前)までの
家系の流れが一つしかないケースです。

苗字によってはこういうケースもありえます。
この場合、250年の空白が過去帳や江戸時代の系図で埋められることもあります。

完全に埋められず数代の空白ができたとしても1000年以上前からの
ほぼ完全な家系の流れを把握できる可能性があります。

このように家系の流れを把握することは戸籍以上の調査方針を立てる上で
重要なのですが、戸籍以上の調査に進まずとも、学生時代に歴史で習ったような
人物と遠い昔につながっていたということを想像するだけでも楽しいです。

【戸籍を読み込み家系を解明の最新記事】

戸籍を深く読み込む

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一番古い除籍謄本より判明したご先祖様の
「お住まいだった土地」「苗字」「名前」などから、
「職業」「暮らし」「家紋」「家系」「戸籍以上の調査方針」
をまとめます。

「渡辺家の家系解明報告書」家系図作成代行センター代表渡辺宗貴の父方家系

1、現在の北斗市茂辺地です。道南に位置し、江戸時代から開けていた地域です。
住民は江戸から明治にかけて漁業や農業で生活しており、安政2年(1855)の
「松前記行」には「富有のものもまま見へたり」とありますから、
豊かな村だったようです。
明治4年(1871)には戸数が143軒あり、人口も810人もいました。
渡辺家がいつから茂辺地に住んでいたかは分かりませんが、
江戸時代には移り住んでいたのでしょう。

2、現在の秋田県男鹿市脇本です。その地の加藤平助の二男が
嘉永元年(1848)渡辺荘兵衛の養子となりました。
2009年の電話帳によれば脇本に加藤家は83軒もいます。
多すぎるので二代目荘兵衛の兄の子孫を探すのは困難でしょう。
脇本村は戦国時代、安東氏の本拠地で江戸時代は秋田藩の領地でした。
かなり大きな村で住民たちは半農半漁で暮らしていました。
江戸時代、武士が住んでいた土地ではありませんので、
加藤家は庶民だったと思われますが、戦国時代は脇本城主安東氏の
家臣だったかも知れません。

3、明治9年に養父から家督を継いだ平次郎は、荘兵衛と改名しました。
養父の名前を襲名したのです。父の名前を子供が襲名するのは
家系に誇りを感じている証拠です。
茂辺地には曹洞宗竜洞山宝樹庵というお寺があります。
養父の荘兵衛はこのお寺に葬られたのかも知れません。

4、妻のマサも脇本村から嫁いでいます。しかも父親は
渡辺藤右エ門という人物です。この渡辺家は当家と関係があると思われます。
当家も出身地は脇本村ではないでしょうか。
もし、そうだとすれば出身地から養子や嫁を迎えていることから、
当家と脇本村の交流は続いており、茂辺地へ渡ってからあまり代数を
経ていないのだろうと思われます。
先代荘兵衛のときに茂辺地へ渡ったのかも知れません。
2009年の電話帳によると、脇本には2軒の渡辺家が住んでいます。
渡辺という苗字の場合、渡邊や渡邉と書く家も一族である可能性がありますが、
脇本にそれらの家はありません。

5、長男の荘吉にも父祖ゆかりの「荘」文字が使われています。
先祖代々、同じ一文字を名前に使い続ける習慣を「通し字」といい、
足利家の「義」や織田家の「信」など武士の世界では広く行われていました。
これにより当家も武士と同じくらい家に強い誇りを持っていたことが分かります。

6、二男の佐市は明治11年に失踪しています。
当時は戸主の許諾なく本籍地を離れると失踪とみなされましたから、
佐市は戸主である父荘兵衛と折り合いが悪かったのかも知れません。
そのためか復籍後、茂辺地の丸山家へ養子に出されています。
2009年の電話帳によると茂辺地に丸山家は12軒います。

7、荘吉の妻となったキノは「秋田県山本郡能代港町字御指南町一番地 
斎藤利成伯母」とあります。御指南町は現在の能代市御指南町のことで
江戸時代には秋田藩の下級の武士が住んでいました。
この斎藤利成という人物は武士です。二人はどのように出会ったのでしょうか。
誰かが仲介しキノは嫁ぐとき、初めて北海道へ渡ったのかも知れません。
キノは明治36年に荘吉と離縁しました。

8、四男荘太の妻チヨは爾志(にし)郡相沼内村字オリト48番地から嫁いで来ました。
現在の二海(ふたみ)郡八雲町熊石相沼町です。
2009年の電話帳によると、相沼町には田中家が9軒います。

【家系のヒント】
全国の渡辺家の多くは第52代嵯峨天皇(786−842)の流れをくむ
渡辺綱の子孫だといわれています。
すなわち嵯峨天皇の皇子融(とおる)が臣籍に降下して源融と名乗り、
その子孫の綱が現在の大阪市にあった渡辺という場所に住み着いて、
渡辺綱と称しました。これが渡辺という苗字の始まりです。

綱は平安時代、源頼光に仕えて四天王の第一に数えられ、
酒呑童子を退治したり、一条戻り橋で老婆に化けた鬼の腕を斬りおとしたりと、
大いに武名を高めました。
その子孫たちは渡辺党と呼ばれ、「渡辺星(三つ星に一文字)」という家紋を愛用し、
全国各地に移動しました。秋田県にも住み着き、戦国時代に脇本を支配していた
安東氏の家臣にも渡辺喜兵衛や渡辺五郎兵衛などがいます。
安東氏が現在の秋田市へ本拠を移し、秋田氏と改名したとき、同行せず、
地元脇本で帰農した家系かも知れません。
いずれにしても当家のご先祖は明治以前に北海道へ渡った冒険心にあふれる人物でした。



「葛西家の家系解明報告書」家系図作成代行センター代表渡辺宗貴の母方家系

1、現在の青森県北津軽郡板柳町飯田です。
江戸時代は弘前藩の領地で、規模は中程度。住民のおもな仕事は農業でした。
明治12年の戸数は69軒。人口は男性が256人、女性が215人です。
ほかに村には農耕馬が24頭いました。
2009年の電話帳によると、飯田には34軒の葛西家が住んでおり、
とくに村元という地域に17軒がまとまっています。
この34軒のうちに当家の親戚がいると思われます。

2、飯田には江戸時代から明治4年にかけて弘前城下の武士が
藩の命令で移住していますが、その人数も少なく、通常、移住士族の家は
転居地に同姓の家が少ないという特徴があります。

葛西家は飯田に34軒もいますので、江戸初期に飯田に住み着いた村の
草分け的農民であり、弘前藩の武士であった可能性はまずありません。

とはいえ、これだけ一族を分家させるには相当な経済力が必要でしょうから、
飯田の葛西一族の総本家はかなり裕福だったと思われます。

3、「飯田五十五番戸」という本籍地は明治5年に壬申(じんしん)戸籍を
作製するとき、まだ土地に地番号が付いていなかったため、
家一軒ごとにふられた番号です。何番屋敷と書くこともあります。

4、番戸や屋敷という家の番号は村の中心部から順番にふられた傾向があり、
数が少ないほど村の中心部に近いといわれています。
当家は明治30年に55番戸から15番戸へ移っていますので、
村の中心部付近へ引っ越したことになります。

5、現在の板柳町横沢です。
2009年の電話帳によれば、横沢には11軒の太田家が住んでおり、
そのうち6軒は富沢という地域に集まっています。
この11軒のうちに葛西権八郎の兄の太田家がいると思われます。
なお葛西権八郎が養子になった年月日が書かれていませんが、
これは権八郎が明治5年以前に養子になったためです。

6、葛西権八郎は「明治二十八年十月七日願済廃嫡」とあります。
このとき48歳だった権八郎は何らかの理由で養父の葛西松之助から
家督を譲らないと宣告されたわけです。
その三日後、権八郎は妻子を連れて分家しました。
いったい養父の松之助は壮年の婿養子を廃嫡にして
誰に家督を譲ろうとしたのでしょうか。
このとき養父松之助と婿養子権八郎の関係に大きな変化があったことは
間違いありません。

7、常吉は「飯田字下柳田九十一番地ノ第二号」に分家しましたが、
2009年の電話帳によれば、この地には現在でも葛西家が住んでいます。
常吉の子孫でしょう。

8、「中津軽郡新和村三和」は現在の弘前市三和です。
ここには2009年の電話帳によると18軒の森家が住んでいます。


【家系のヒント】
宮城県から青森県にかけて葛西家は広く分布していますが、
その家系をさかのぼると、下総(しもうさ)国葛西郡葛西御厨(みくりや)から
発祥した桓武平氏といわれています。
御厨とは古代の神社領のことで、葛西御厨は現在の東京都葛飾区と
江戸川区の付近にありました。葛飾の西にあるので葛西といいます。
葛西氏は、この地に第50代桓武(かんむ)天皇の流れをくむ清重が住み着き、
葛西三郎と名乗ったことに始まります。
葛西清重は鎌倉幕府を開いた源頼朝の家臣となり、文治5年(1189)の
奥州征伐に従軍して大いに活躍し、現在の岩手県南部から宮城県北部におよぶ
広大な土地を恩賞として与えられました。
その嫡流は戦国大名となり、現在の宮城県登米市迫町佐沼にあった
佐沼城を居城として葛西晴信まで続きましたが、豊臣秀吉の小田原陣に
参陣しなかったため滅亡しました。
しかし、その間に葛西一族は北上を続け、南北朝のころには青森県にまで
広がっていました。当家の出身地である飯田のそばには戦国時代、
滝井館という城郭があり、北畠顕範という武将がいました。
当家の先祖はその家臣の一人だったかも知れません。
そして滝井館が天正6年(1578)、津軽為信によって攻め落とされたとき、
飯田に逃れて農民になったのかも知れません。
葛西清重の子孫は「三つ柏」の家紋を好んで使っています。



「玉置家の家系解明報告書」家系図作成代行センター玉置朱羽子の父方家系

1、現在の和歌山県西牟婁郡白浜町堅田です。
江戸時代は徳川御三家の一つ紀州藩の家老だった田辺城主安藤氏の領地でした。
安藤氏は明治元年に独立して田辺藩主となりました。石高は3万8800石です。
明治初年の安藤氏の家臣に玉置酒造(みき)という武士がいます。
当家の遠い一族かも知れません。なお戦国時代、堅田の地は
山本主膳康忠という豪族の支配地でしたが、康忠の伯父に
玉置図書(ずしょ)直俊という人物がいます。
山本家が滅亡したとき玉置図書も逃れて農民となりましたから、
当家はその子孫かも知れません。

2、堅田は大きな村落で、明治6年には176軒の家がありました。
人口は男性が407人、女性が387人です。
住民の仕事は農業のほか漁業、石の販売、塩の製造などです。
昭和以降は真珠の養殖も盛んになりました。
この176軒のなかに当家も含まれます。
ちなみに2009年の電話帳を見ると、堅田には玉置姓の家が19軒います。
このなかに当家の親戚がいると思われます。

3、この除籍は明治19年の書式です。そこに「亡父又平」とありますから、
又平は明治19年以前に亡くなっていました。
堅田に臨済宗松尾山聖福寺というお寺がありますので、このお寺に葬られたのかも知れません。

4、戸主の又平は亡父の名前を襲名しています。
父親の名前を襲名するのは、家柄に誇りを持っている証拠です。

5、戸主又平の事項欄に「明治二十二年三月二十一日 再相続」とあります。
いったん長男藤吉に家督を譲ったあと、何らかの理由で再び藤吉から
家督を取り戻しています。その理由は何だったのでしょうか。
当家は複雑な家督の移動をおこなっています。

6、戸主又平は明治22年から5年間、戸主に戻り、明治27年には再び
家督を長男藤吉に譲りました。この5年間、又平は何らかの理由で
戸主でいなければならなかったわけです。
明治27年4月14日に又平は再び家督を長男藤吉へ譲りましたが、
その直前の明治26年1月8日に藤吉の弟や妹たちが全員分家しました。
明治26年から翌7年にかけて、この家には何か大きな変化が起こっています。
弟や妹たちは本籍地を変更せず、戸籍上だけで分家していますから、
彼らは父又平や兄藤吉と同じ家に住みながら、戸籍だけを分離したわけです。
こういう同居している家族の分家は役所に届け出る書類の必要上という理由が
一般的です。戸主の藤吉は、このとき弟や妹たちを分家させていなければ
受理されない書類を役所に提出したのでしょう。
その書類が何だったのかは今後の調査課題です。

7、「すき」が明治元年に結婚したとき、父親の津田円蔵はすでに亡くなっていました。
この津田家も2009年の電話帳によると、堅田に15軒います。
そのなかに円蔵家の親戚がいるでしょう。


【家系のヒント】
和歌山県の玉置氏は奈良県吉野郡十津川村にあった玉置山にちなむ苗字とも、
和歌山県新宮市熊野川町玉置口から発祥した苗字ともいわれています。

いずれにしても玉置という地名から生まれた苗字です。
古代から腕に付ける輪状の装飾品の生産地や崩れた崖地を「たまき」と呼んでいました。
十津川村の玉置山は装飾品にちなむ地名といわれています。

玉置氏は奈良県や和歌山県で栄えた一族ですが、その遠い祖先については
判然としません
戦前に太田亮氏(専修大学教授)が編さんした『姓氏家系大辞典』をみても、
その始まりは熊野の古代豪族とも、桓武平氏の末裔ともいわれています。

玉置氏のなかには江戸時代、徳川将軍家に仕えて旗本となった家もありました。
この家も和歌山県出身といい、桓武平氏の子孫という伝承を持っています。

家紋は「州浜」を用いています。「州浜」は全国の玉置家が最もよく使う家紋です。


「家系解明報告書について」

「歴史」「地理」「民俗学」「歴史人口学」「苗字」「人名」「家紋」
「中世・古代の系図」…等の知識があればご先祖様の職業や暮らし、
家紋、さかのぼれる可能性などたくさんの事が戸籍から読み取れます。

【職業】
ご先祖様のお住まいだった土地を調べるとかなりの精度で推測できます。
「苗字」「人名」よりほぼ特定できることもあります。
【暮らし】
こちらもご先祖様のお住まいだった土地を調べるとかなりの精度で推測できます。

また、戸籍から読み取れる人間関係(婚姻年齢・養子先・嫁ぎ先等)
よりさらに高い精度で推測・特定できることもあります。

【家紋】
「苗字(名字)」より推測できます。
ほぼ特定できることもあります。
【家系】
そもそも天皇家のどこからつながる家系なのか推測できます。
「苗字(名字)」よりほぼ特定できることもあります。

戸籍を読み込み家系を解明

家系図作成代行センターでは「戸籍調査」だけではなく、200〜1000年以上前の
ご先祖様をたどる「戸籍を超えた家系調査(現地調査)」を承ることも可能です。
すなわち一番古い戸籍(除籍謄本)から、さらにご先祖様をたどるサービスです。

【「戸籍調査」をご依頼いただいた方には必ず「家系解明報告書」をお付けします】

今ご依頼いただいているお客様に、戸籍を超えた家系調査のアドバイス
「家系解明報告書」を無料でお付けしています。

「お住まいだった土地」「苗字」「名前」などから、
「職業」「暮らし」「家紋」「家系」「戸籍以上の調査方針」をまとめます。

当事務所は全国の家系図に関するほとんどの情報を独自に把握しています。

※例えば、明治期に北海道に渡ってきた侍(4000人の名簿)などを
独自に把握しています。

【「戸籍を超えた家系調査(現地調査)」に「戸籍調査」は必須】

「戸籍調査」の結果、実際に「戸籍を超えた家系調査(現地調査)」に
進まれるかどうかはともかく、現地調査のノウハウを持って戸籍(除籍謄本)を
読み解くと家系図を作るだけではなく様々なことが読み取れます。

戸籍から読み取れることは家系図を組むことだけではありません。

具体的に一番重要なのは、江戸末期〜明治初期にご先祖様が
暮らしていた本籍地を知ることです。

ご先祖様の苗字(名字)と本籍地より、「どのような暮らしをしていたのか?」
「さかのぼればどのような家系につながるのか?」が読み取れます。


戸籍(除籍謄本)から作成する「家系解明報告書」は「戸籍を超えた
家系調査(現地調査)」への道標でもあります。

【1000年さかのぼることと、明治・大正期の近いご先祖様の暮らし。どちらに興味があるか?】

当事務所では、家系をさかのぼれる限りさかのぼることが全てとは考えておりません。

家系図作成の最終目的である「天皇家までさかのぼること」にご関心のある方も
もちろん多いですが、「幕末・明治・大正期。3〜5代前の近いご先祖様の暮らし」に
ご関心を持たれる方も非常に多いです。

現に当事務所独自のアンケート調査では「さかのぼることよりも
近いご先祖様の暮らしを知りたい」という方が6割以上という結果も出ています。

【余談ですが…】

当事務所ではむやみにさかのぼる調査をお勧めするようなことはしていません。

戸籍(除籍謄本)から判明した近いご先祖様のことを想うことも、
さかのぼることに劣らず素晴らしいことだと考えております。

2009年12月より一部のお客様に「家系解明報告書」お付けしておりますが、
既に地元北海道のニュース番組で特集が組まれました。

家系図作成代行センターは4割くらいが女性のお客様です。
30代〜40代のお若い方も多い。


友人・かあちゃん・親戚から「テレビ出たのは偉い。頑張ってるのはわかった…
が、取りあえず髪切れ」と言われまくりました^^

金田一少年をイメージしたのですが…評判悪い。
戸籍の取り方を簡単に説明。
ホントはこれだけで2時間くらいの番組にして欲しい(2時間でも足りないかな?)。
「ウチラ行政書士に頼む前に自分でやる事も検討して欲しい。ご先祖様喜ぶ」
ディレクターさんに是非ここは入れて欲しいとお伝えしました。
それでも「忙しくて…」「戸籍読むの大変」とか困ったときにウチラに頼んで下さい。
完成した家系図をお客様ご夫婦にお渡しする場面。

今までだったらお渡しして戸籍の読み方を簡単にご説明するしか出来ませんでしたが、
これからは新サービス「家系解明報告書」をお付けできます。

※「家系解明報告書」とは戸籍調査の結果よりご先祖様の
「暮らし」「家系」「家紋」を読み解くサービスです。

お客様(女性)の名字は名嶋(旧姓)様。

2代上のおじい様のお名前までしかご存じなく、
どこから北海道に来たかも特に聞いていなかったそうです。

まずは父方5代上、母方7代上まで戸籍でさかのぼれました。
ここからが戸籍を超えた家系調査のアドバイスです。


・福岡から北海道の士別にいらしたこと。

・「名嶋」という名字の発祥はほぼ京都か福岡。
・福岡には「名嶋」という地名があり本籍地から考えてまずここが名字の発祥の地と考えられる。
・地形より山間で農業を営んでいたと推測される。
・この地には戦国時代に「名嶋城」というお城があり立花という有力な一族が城主であったこと。
・名嶋家は元々この地で暮らしていたか、あるいは立花家と繋がりがある可能性も考えられる。
※「戸籍を超えた家系図(現地調査)」の調査方針

さらに推測すると、名嶋家は「名嶋」という地より少し離れたところに
本籍地を置いている(戸籍より判明)。

もともと発祥の地である「名嶋」で暮らしていたが、その地に立花家がやってきて
「名嶋」という地名を冠した名嶋城を建て城主になった。

元からその地に暮らしていた名嶋家にとっては愉快なことではなかったので
少し離れたところで暮らすようになった可能性も考えられる。

または、立花家は後に名嶋城を離れている。
立花とかかわりあるものがこの地に残り帰農し名嶋を名乗るようになった
可能性も少ないが考えられる。

もし戸籍以上にさかのぼる調査を行うなら、本籍地に残る名嶋姓への
コンタクト、菩提寺・墓石探しはもちろんだが、城主であった立花家の記録も
文献・文書で調査しなければばらない。


また名嶋という苗字はさかのぼれば藤原鎌足につながる可能性がある。

戸籍からさかのぼる調査と同時に、天皇家・藤原鎌足から福岡の名嶋家へ
下ってくる調査も同時に行う。


その際に「名嶋」から発祥した名嶋家なのか、あるいは立花家と
つながりある人物が名嶋を名乗ったのかによって、藤原鎌足に
乗り上がる道筋が変わってくる。

 

屯田兵名簿とのすり合わせによりご先祖様が屯田兵として
北海道に渡ったこと。

 ※士別屯田は北海道最後の屯田兵
・士別の本籍地の記載より天皇から借りた地で農業を営んでいたと推測されること。
その他にも
・「名嶋」という名字は藤原鎌足につながる。
・ご先祖様がいらしたのは旭川から士別に鉄道が通った年であること。
・ご先祖様がいらしたの士別という町が出来た年であること。
・現在「ナジマ」と呼ばれているが元は「ナシマ」であったこと(北海道は濁音が入る)。
・福岡の本籍地でご先祖様を一にしている可能性のある方がいること。
・士別町史や士別の写真集を見るとご先祖様の暮らしぶりがもっと理解できるということ。
・古文書館で屯田兵の資料を調べる事もできること。
などなど、がお伝えできました。
※近いご先祖様の足取りを読み解く
戸籍から読み解けることは家系図作ることだけではありません。

戸籍を見ただけでは「明治○○年○月福岡より北海道士別へ転籍」
とあるだけです。


「どうして福岡から北海道へやってきたのか?」

歴史を調べるとその年は北海道最後の屯田兵が入植した年でした。
屯田兵名簿を調べると確かにご先祖様の名が載っています。
また、士別という町ができ鉄道が開通した年でもあります。

福岡の山間地で(おそらく)農業を営んでいたご先祖様が、
遠い北海道の拓けたばかり地で開拓へ勤しんでいた…
ご先祖様の暮らしぶりへのイメージがわきます。

また、ご先祖様は亡くなる間際に福岡へ戻られています。
最後は故郷で過ごしたかったのでしょうか?
親しいご親族が福岡に残っていたことも読み取れます。

この後、屯田兵の記録についてさらに調べ、士別屯田兵の住宅地図や、
開拓当時の士別の写真も確認できました。


巻物や掛軸に表装して作成&保存

2.巻物や掛軸に表装して作成&保存

では次に、巻物や掛軸にして保存したい方のために。


■毛筆での筆耕かパソコンでのプリントアウトか

巻物や掛軸に表装するには、まず筆耕(書道の文字で家系図を書く)か、
パソコンなどで作成したものを表装するか決めなければなりません。

パソコンで作成する場合は前のページの「パソコンでの家系図作成&保存」を
参考になさって作成されてください。
筆耕したい場合は、書道をされている方は自分で挑戦してみてもいいでしょう。
書道なんて小学生の頃にやったきりだ、と言う方は筆耕してくれる方を探します。


■家系図を筆耕してくれるところはあまり無い ・・・

ネットで探し回ったのですが、家系図の筆耕のみを請け負ってくれるところが
見つからなかったです(TT
(もし、他に良いところを見つけられた方は、銀猫までご一報ください)

『家系図作成代行センター』では、自分で作った家系図の筆耕だけでも引き受けてくれます。
ちなみに、2系統の家系図の筆耕が出来るのは、おそらく他にありません。

筆耕は、もちろん、『書道家』の先生をタウンページやネットで探して頼んでもいいのですが、
できれば『家系図作成の経験のある先生』にお願いしましょう。
と言うのも、家系図の筆耕って、実は難しいのです。
師範の先生なら大丈夫だろうと思っても、芸術書道の師範の方って、
普通の人が読めない字を書かれたり、読める字を書こうとすると、
下手だったり(苦笑)しまして、
実用書道の先生に頼もうとすると、家系図って、バランスが非常に難しいものなので、
全体的に美しくならなかったり・・・。
さらに、経験のない書道家の方だと、系線 (家系図の人と人をつなぐ線)を
どう書いていいかわからないようです。
ので、『家系図作成の経験のある先生』を是非探してください。


■巻物や掛軸に表装してくれるところは結構ある

パソコンか、筆耕による家系図が出来上がったら、いよいよ表装です。
普通の方はあまり『表装』に縁がないことと思われますが、
実は表装屋さんって、たくさんあります。

こちらは何処に頼んでも問題なく仕上がると思いますので、
予算と品質(比例するものですので・・・)を考えて、お好きなところに頼まれると良いでしょう。

『表装 巻物』で検索されたら、たくさん見つかりますよ。


■家系調査、筆耕と表装を同時に頼むなら・・・

『筆耕と表装』のみを頼めるところを探したのですが、やはり
『行政書士家系図作成代行センター』しか見つけられなかったのですが^^;
調査も含めてなら、多くの行政書士さん達が手がけてらっしゃいます。

「行政書士 家系図」で検索して、いくつかのサイトを比べて、
良いところに申し込むのがいいかと^^

筆耕・表装の相場ですが 筆耕は1系統4〜10万。
表装は、機械表装なら2〜5万円(行政書士さん達の家系図はほとんどが機械表装です)
程度ですので、あまりに高いところはご注意を。
posted by 玉置 at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 家系図作成講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

パソコンでの家系図作成&保存

1.パソコンでの家系図作成&保存

まず作成についてですが、
1,汎用ソフト(WordやExcelなど)による作成
2,家系図作成ソフトによる作成 があります。

1、汎用ソフト(WordやExcelなど)による作成
まずはそのソフトをある程度使いこなせる技術が必要ですが・・・。
私はExcelを使用して家系図を作成しております。
ご希望の方には私が使ったExcelの家系図の型を無料で配布いたします。
ただし、パソコンにExcelがインストールされていて、ある程度使いこなせる方限定です。

実は家系図作成代行センターが実際に使用されている家系図の型も
私が作ったものです^^

【汎用ソフト(WordやExcelなど)を利用するメリット】
・CD−Rやフロッピーで気軽に他の親戚などに配れる。
・そのソフトがインストールされたパソコンならどのパソコンでも閲覧&編集が可能。 

【汎用ソフト(WordやExcelなど)を利用するデメリット】
・ある程度慣れたソフトでないと形を整えるのが大変。
・家系図作成(記載方法など)への知識が必要。


2、家系図作成ソフトによる家系図作成&保存
パソコン初心者ならこちらの方が簡単です。そのソフトを購入&インストールが必要ですが。
最近家系図ソフトも少し増えてきたようです。
もし、他に良いソフトをご存知の方がいらっしゃいましたら情報をお寄せください。

その1. 親戚まっぷ (3,200円 税込)  
体験版は無料で使用できます(データ保存が出来ません)。  
キャラ画像つきの家系図が簡単に作成できます。

その2.家系図ソフト「家康」 (17,000円 税込)  
デモ版では実際に家系図を作ってみることは出来ません。  
親戚まっぷより本格的な家系図が作れます。

その3.ルーツ2006(ダウンロード版) (26,800円 税込)  
体験版は実際に家系図を作ってみることが出来ません。  
非常に多機能で、年賀状作成等も行えるようです。

その4.VisualRoots (1,050円 税込)  
ライセンス登録前は10名ほどしか入力できないようです。  
作成した家系図はエクセルにエクスポート可能なようです。

その5.家系図ツールズ (1,000円 税込)予定  
2007年8月1日まではβ版が無料で使用できるようです。

その6.Personal Ancestral File (無料)  略してPAF。
外国のソフトです。が、日本語版があります。
『Download PAF』というボタンをクリックしてダウンロードします。
(「個人の先祖ファイル」と訳されてました)

その7.エクセル家系図(酒田市楯山だ!)(無料)  
文字通り、エクセルの家系図です。(パソコン関連と書かれたところをクリック)  
当サイトの家系図の型よりずっと作りこまれてます。
ただ、エクセルに詳しい方でなければ使いこなすのは大変かもしれません。

その8.家系図テンプレート (無料)  
microsoftが提供しているエクセルのテンプレートです。非常にシンプル。  
外国語表記に対応するためか、名前が横書きで、横に伸びていきます。

その9.Geni(WEB上で利用) (無料)  英語のサイトです。
ホームページ上で情報を打ち込んで家系図を作ります。  
お手軽にお遊び気分で家系図が作成できます。日本語入力も可能です。

【家系図作成ソフトを利用するメリット】
・初心者にも作りやすい。

【家系図作成ソフトを利用するデメリット】
・エクセル使用のもの以外はデータを他のPCで見られない。  
(そのためにもう1つソフトを購入しなければならない)。
・複雑な系図に対応できない

上記のいずれかの方法でパソコンで作成したならば、
プリンターで印刷したものを保存されることをお勧めします。

パソコンのデータはハードディスクに保存しても、CR-RやDVDに保存しても、
壊れる可能性は高いものですし、数十年後に見ようとして、
ソフトのヴァージョンが変わっていて、形が壊れてしまう可能性もありますから。
印刷した紙は、額に入れたり、証書フォルダーなどに入れて保存すると、
より立派に見えますよ^^
posted by 玉置 at 09:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 家系図作成講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

家系図の保存方法

家系図の保存方法 家系図を保存するには

家系図を保存するには、いろんな方法が考えられますが、
手書きのメモではちょっとがっかりですよね。
大きく分けて2つの手段をお勧めします。  

1.パソコンによる家系図作成&保存
家系図作成まにゅあるで無料配布中のエクセルによる家系図の型を利用した例  

2.巻物や掛軸に表装して作成&保存
家系図に囲まれる家系図作成代行センター代表渡辺

では、一つずつ説明していきましょう。
posted by 玉置 at 09:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 家系図作成講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

家系図作成の参考図書

4.参考図書
私が家系図を作るのに良いと思われる本をピックアップしました。
ご参考までに^^  

簡単便利家系図作成マニュアル 家系図作成の入門書
まずは私はこれを読んで勉強いたしました。
読み物としても大変面白いです。
著者:太田聡 /楡井範正 出版社:ビジネス社 1,500円
  
家紋を読む
直接関係あるわけではないですが、こんなのも面白いかなぁと^^
家系図が出来て、家紋の由来も書き添えられたら楽しいですね。
著者:能坂利雄 出版社:ベストセラーズ 780円(税別)    

角川書道字典
行政書士の渡辺先生も使ってらっしゃる字典です。
古い戸籍に出てくる旧字を調べるのにすごく便利。
ちょっとお高いですが…。値段だけのことはあります。
著者:伏見冲敬 出版社:角川書店 5,800円(税別)  

旧字旧かな入門
旧字を調べるにはこちらも良いでしょう。
お値段もお手ごろ。
著者:府川充男 /小池和夫 出版社:柏書房 2,300円(税別)

番外   
家系図作成専門行政書士が教える  「家系図作成」を始める前に知っておきたい6つのポイント
家系図作成代行センターでこっそり発行されている(?)小冊子です。
 著者:渡辺宗貴(行政書士) 欲しい方はお問い合わせください。        
http://e-kakeizu.com
posted by 玉置 at 09:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 家系図作成講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お墓やお寺などを調べる現地調査

3.お墓やお寺などを調べる現地調査
posted by 玉置 at 09:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 家系図作成講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

戸籍による家計調査

2.古い戸籍を取得する家系調査

これは、行政書士の先生達がよくやっている調査です。
無論、自分でも出来ます。


■まずは自分の戸籍(戸籍謄本)を取る。次は父親の・・・

まずは、自分の戸籍謄本を取ってみます(取り方は、役所に聞いてみてください)。
必要な情報は自分の本籍地(免許書に記載があります。)。
結婚されているなどして親の戸籍を抜けている方は、
そこに自分と自分の配偶者、子供が載っています。
そこに、自分の父親(前戸主)の本籍地も載っています。

次は父親の戸籍謄本を取ってみましょう。
遠方の場合は郵送でも取れます(取り方は、役所に電話するなどして
聞いてみてください)。
基本的にはこの繰り返しです。

父親の戸籍が取れたら、父親の父親(祖父)の本籍地の役所に戸籍を請求する。
その次は父親の父親の父親・・・。と順番に取って行くだけです。
が、これが結構難関でして・・・。


■難関1。
字が読めない・・・旧字・くせ字・あんまり上手じゃない字^^
ここを見てる方の年齢にもよりますが、お祖父さんくらいから戸籍は手書きになってきます。
役所の戸籍係だって人間ですから、字がうまい人もいれば下手な人も・・・。
さらに字自体も旧字が出てきたりして、かなり読みにくくなってきます。
←こんなのとか・・・。読めません・・・・・。 ・・・ここが頑張りどころです。
基本的には日本語ですから(当たり前ですが)、頑張って読みましょう。
 
全部を読む必要はありません。 必要な情報がわかればいいのですから。
必要なのは、
1.戸主の父親の住所と名前
2.直系の人(古い戸籍には、一緒に住んでる人が皆記載されていたりしますが、
普通は直系の方しか調べません)が戸籍を抜けた理由(死んだのか、
結婚したのか、養子に行ったのか、など)です。

全部読もうとすると、頭が痛くなってきます。
読めない字は、次の次のページ参考図書『書道字典』などで調べると良いでしょう。
読みにくい字のために、見落としも多くなってきますので要注意です。

そして、もう一つの難関が『地名』です。


■難関2。『地名』

字が読めた〜。ふんふん、次の戸籍の請求先は『○○県○○村ね』、ってとこまできて、
○○村が今はどこにもないことに気づいたりします。
古い地名は結構な確率で名前が変わってるんですよね^^;
○○村が○○市になった、くらいなら、ちょっと調べればわかることですが、
全く違った地名になっていると、かなり辛いです・・・。
インターネットや図書館を利用して徹底的に調べてみてください。

ある程度の場所がつかめれば、役所の戸籍係の人に聞いても、
快く教えてくれます。ただし、その役所の管轄の地域であれば、ですが。


■戸籍(戸籍謄本・除籍謄本)による家系調査のメリット

・直系のご先祖様を正確に、しかも結構深く探れる。  
(大体、江戸末期くらいまでわかるようです)


■戸籍(戸籍謄本・除籍謄本)による家系調査のデメリット

・慣れない人は人名、地名の読み方、現在地などで詰まる。
 
・戸籍には保管期限があるため、一定以上はさかのぼれない。
素人には読み落としがかなりあるようなので、出来れば完成した後にでも、
家系図を扱っていらっしゃる行政書士さんにチェックをお願いしたいものです。
もちろん、丸ごと、頼んでしまってもいいのですが。
posted by 玉置 at 09:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 家系図作成講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

親族への聞き取り調査

1.親族に対しての聞き取り調査


■まずは自分の知ってる限りの人を書き出しててみよう!

まずは単純明快。自分で知っている限りの親族図を書き出してみましょう。
自分、兄弟、父母、祖父母・・・。
ちょっとわかりにくいですが、右の図が人の並べ方の1例で、
たてに人を配置していった縦系図です。

家系図を筆耕までして掛軸にする場合はこの縦系図で表記します。
結婚してる人は『=』でつなぎます。
子供(実子)は普通 縦1本線『|』でつなぎます。
 養子の場合は縦2本線『‖』でつなぎます。
※特に古い時代になると養子縁組は頻繁に行われていたようです。

これが、一般的な家系図の書き方ですが、決まりがあるわけではないので、
基本的には好きなように書いてOKです。
ちなみに上記の縦系図を横にしたものが横系図です。
家系図を筆耕までして巻物にまでする場合はこの横系図で表記します。


■いろんな人に聞き込んでみよう!
 
話は戻りますが、自分の知っている親族を書き終えたら、
次はご両親に聞いて、判明した分を書き加えていきましょう。
さらに、お祖父さん、お祖母さん、親戚のおじさん・・・、などなど。
連絡が取れる限りの親族に聞いてみましょう。
これだけでもうかなりの人数が判明するはずです。

※注意 いろいろなご親族様に話を聞いていくと、
中には家系調査をすることに抵抗を示す方もいるかもしれません。
そんな時は、無理をせず引き下がるのが良いと思います。
快くご協力いただけない理由が「興味ないし、めんどくさいなぁ〜」程度であれば、
こちらの情熱を示して頭を下げるのも良いと思いますが、
知られたくない事情とかがある場合もあるかもしれません。
近いご親族様でもお互いの個人情報は尊重するのが筋と思います。


■親族への聞き取り調査のメリット

・直系以外の親族も多く判明するかも。
・普段なかなか聴くきっかけのない話が聞けるかも。


■親族への聞き取り調査デメリット

人の記憶に頼るものですから、事実と違う可能性もなきにしもあらず・・・。
私(玉置朱羽子)の場合はこれによってなんと安全地帯の『玉置浩二』さんと
親族であることが判明いたしました。
ただし、遥か遠い親戚ですが(笑 もしかしたら、あなたも有名人と親戚かもしれませんよ。
ただし一言ご忠告が。 家族の誰もが信じていた事実
(祖父の兄弟が3人だったとか、○○さんは△△さんの子供だ、とか・・・)が、
戸籍(戸籍謄本・除籍謄本)での調査を行うと、
実は違っていたりすることが、ままあるようです(・・・と、いいますかかなりあります)。
出来れば次の戸籍(戸籍謄本・除籍謄本)による家系調査も行いたいものです。
posted by 玉置 at 09:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 家系図作成講座 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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